
第Ⅱ章 古代社会初期の文化
2.1 复习笔记
目次
1金属文化の渡来
2階級と国家の成立
3君主制国家の形成
4民族宗教としての祭り
5『古事記』『日本書紀』の伝える物語
6古代文化と性
7日常生活
8造形美術
1金属文化の渡来
(1)日本の特殊性
すでに鉄器時代にはいっていた漢文化の影響で金属器時代を迎えた日本では、青銅器時代を経過することなく、石器時代から一とびに鉄器時代にはいったのである。したがって金属器時代の初期には、青銅器と鉄器とがならびもちいられる状態であった。ここにも、日本文化史の先進文明国のそれと異なる特殊性を見出すことができる。
(2)弥生文化
金属器時代の最初の文化は、弥生土器という、縄文土器とまったく異なる様式の土器をともなっているところから、弥生文化と呼ばれている。
2階級と国家の成立(弥生時代研)
(1)背景
水田耕作の開始は、日本社会の構造を一変させるほど大きな影響力をもっていた。
①開墾や灌漑などのために大規模な共同労働が必要となり、聚落への集中が密となっていった。
②余剰物資の蓄積が可能となり、労働力の大小強弱による富の大小の区別があらわれ、階級的搾取関係が形づくられてきたのである。
(2)概況
①政治的支配関係が生み出され、各地に小さな政治集団が簇生するにいたった。それらの「国」に「王」があった。
②小国群立時代の「王」が政治的君主であるよりも、むしろ巫祝を本質とした。これは古墳時代以後の専制君主とは質的に大きな違いがあり、初期の支配者の特色といえる。
③その原因を考察すると、天候・気象など人力によっては動かすことのできない自然条件に依存しなければならない農業を主産業とすることは、呪術の必要をいっそう大きくした。呪術による耕作の順調な進行と豊かな収穫との保障を目的とする農耕儀礼が、村落共同体になくてはならない行事となる。農耕儀礼をつかさどる巫祝が、同時に村落共同体の統制にも重要な役割をになう。
④後にこの「王」のひとつが日本全土の「大王」となり、七世紀頃から「天皇」という称号を使うことになるのであるが、天皇が後世まで国家の君主であると同時に最高の司祭として祭祀大権をもっていたのは、日本の「国体」が弥生時代以来の古い性格を清算することなく温存してきたことを示すものである。
3君主制国家の形成(古墳時代研)
(1)概況
①四世紀から六世紀ごろにかけて、前方後円墳を代表とする高塚古墳が、畿内を中心に全国に数多くつくられる。畿内の大和に生れ出た一小国の「王」が、日本全土の「大王」となって、その支配力を東国から九州にまで拡大した。ここに古代専制君主国家として、日本民族は政治的に統一されたのである。
②大王は諸小国連合の形で日本の君主となったのである。大王の政治的・経済的な力の蓄積にともなって、その統制力は次第に強化され、中央集権的古代官僚国家の体制が形づくられてくるのである。その傾向を推進する有力な原動力となったのは、支配者たちの積極的な大陸文化の輸入であった。
(2)原動力——大陸文化の輸入
この輸入は朝鮮半島の軍事侵略を通路とする大陸文化の摂取である。大陸の高度の物質文化を輸入することによって、支配者たちの文化的優越性を高め、被支配者への圧倒的優勢を維持する。
①物質文化
六朝時代の銅鏡またはこれを模した仿製鏡、金冠、金銀耳飾などの大陸的工芸品や、新しく输入された高度に進んだ製陶技術によって作られた須恵器など。
②精神文化
漢字の使用による記録の作成や、陰陽・天文等の中国の知識の輸入が行なわれた。さらに六世紀になると、儒学の経典、仏教の偶像などの百済からの輸入が行なわれた。
③政治
「部」とよばれる人民支配の体制も、百済の「部」の制度を学びとった。
(3)社会の階級構成
この時代の社会の階級構成は豪族——農民——奴隷であった。つまり、従来の諸小国の「王」たちは豪族として大王に服従しながら、人民を支配しつづける。かれらおよび農民の中の有力なものは、さらに奴・婢と呼ばれる奴隷を所有する。
(4)社会の基本的構造
当時の生産力のおもなにない手は農民であったのであり、豪族と農民との間の支配関係が、この時代の社会の基本的構造であった。
(5)氏姓社会
豪族は血統をあらわす氏と、身分の高さをあらわす姓とをもっており、支配者の地位を世襲した。氏・姓をもつ身分の支配する社会であるところから、つぎの律令国家と区別するために、氏姓社会とよぶこともある。
★弥生文化時代は小国分立の時代であり、古墳文化時代は氏姓社会の時代である。
4民族宗教としての祭り
(1)概況
①『魏志』倭人伝に記述されている呪術的行為が民族宗教の原始的な形態である。
②弥生時代以後の民族宗教は、農耕儀礼を本質とするものである。すべての呪術的行為が、終局には農耕の順調な進行の保障に向けられる。
③民族宗教の本体は、呪術的な儀礼をもって唯一の内容とする。呪術的行為の中で社会的にもっとも重要なのは、「祭り」である。
(2)原始的な祭りと後世の祭りとの異なるところ
①後世の祭りは原則として神社の祭礼であり、神社という固定した建築の施設が祭礼の前提となっている。原始的な祭りは、臨時の施設を設けて祭りを行ない、祭りが終れば施設は撤去されたのであって、固定した建築施設を必要としなかった。一定の場所が祭場として反覆使用されるにつれ、そこが神聖な地域として特別に取り扱われるようになり、やがてそこに神社が建築されることとなるのである。
②後世の神社が恒常的な建築施設として存在し、その本殿にいつも神が鎮座しているという後世の常識と違って、民族宗教にあっては、樹木や鏡、剣、土器などの「よりまし」に臨時に神霊の降誕を求めて祭りを行なうのであり、ふだんから神が駐在する神殿を必要としなかったのである。
★それは民族宗教における神が人間的な形態をもつ人格神でなかったことと深い関係がある。
日本のカミというと、人でも、鳥獣でも、山川草木でも、そのほか何でも、すべてふつうでなく変ったところがあって畏敬の対象となるものは、すべてカミである。これは日本の神の特色である。
③祭りがもともと個人的信仰に支えられるものでなく、地域的共同体の集団的行事であった。
後世になると、次第に個人の福徳・除災を神社に祈るようになる。これは新しい信仰内容の発生であり、民族宗教の変容現象にほかならない。
都市の発達により、農耕儀礼から切断された神社が生れてくるが、都会においても、近代にいたるまで祭礼が個人の意志を無視して集団的に運営される。
ただし、集団の行事とはいっても、それはどこまでも村落的行事であって、国家的行事ではない。神社神道を国教のように取り扱い、神社参拝を国民の個々に強要するにいたったのは、明治以後の天皇制絶対主義官僚の創作であって、民族宗教の歴史的伝統にはないことである。
(3)神社信仰と仏教信仰との平行
①日本には、仏教がひろく流布した後にも、民族宗教はそのまま保持され、神社信仰と仏教信仰とは平行して日本人の生活に深い根をおろしてきた。
②日本の文化には、伝統的な古い層の文化が、外来の、あるいは国内で創造された新しい層の文化の展開により消滅することなく、重層的に共存する場合が多いという特色がいちじるしい。
③日本文化の伝統的要素が広く持続してきた基盤は:
a.海を渡って往復する少数の人々を通じてのみ海外文化を受容し、日本人と海外他民族との広範囲の接触が海という自然の障壁によってなされなかったこと。
b.基本産業である農業生産の技術において、弥生文化時代のそれから根本的にぬけきれないこと。
c.農村共同体の生活様式が根底から変革されることなしに存続してきたことなどである。
(4)影響
古代初期の文化は宗教的行事と関係のないものはほとんどなかったのである。後世、芸術として独自の文化形態を形づくり、高度の水準に達した和歌も、物語も、猿楽能も、人形浄瑠璃も、すべて民族宗教関係の行事を母胎として生れたのである。
5『古事記』『日本書紀』の伝える物語
(1)概況
①『古事記』は七一二年太安万侶が、『日本書紀』は七ニ〇年に舎人親王らが完成したものである。
しかしながら、記·紀は太安万侶なり舎人親王なりが新たに書き下したものではなく、古くから伝わってきた文献を整理し加筆して一部の書物にまとめあげたものである。
もっとも新しいところでは八世紀の筆が入っているが、大体はそれ以前のある時期にまとめられた原資料を基礎としている。
②記·紀を氏姓社会の産物として取り扱うことができる。さらにそのうちに、五世紀以前からの古い伝承がふくまれている。数百年にわたる長い期間のいろいろの段階の要素が重なり、合っているのであるから、単純にある一つの時期の文献としてとりあつかってはならないのである。
③『古事記』と『日本書紀』とは、天皇の祖先とされる神々をはじめ歷代の天皇の系譜とその時代のできごととを時間的順序を追って記述した歴史書の体裁をとっている。忠実な歴史的事実の記録とみなすべき部分もあると同時に、まったくの思想的な創作に出た部分も多ければ、史実を加工し変形した記述も少くないのであり、両書を全体として歴史書とみることはできない。
④記・紀の物語は大体の構想では根本的な違いは少いが、表現やディテイルでは性格が違う。『日本書紀』が漢文で書かれ、したがって中国思想による潤色が多い。また、律令貴族の政治思想でそれ以前の段階の物語を変容している部分の多い。『古事記』にあっては、人間の生々しい苦悩や歓喜が政治的な意図とはかかわりなく率直に表出されている記事が多い。
(2)構成
①きわめて正確な史実の記録と認められる『日本書紀』の天武・持統天皇の三巻と、まったくの思想的創作から成る両書の神代巻とを両極として、その中間には記録的要素とそうでない要素とがからみあっている。
②記録でない要素もその性質は一様でない。記・紀またはその原資料の編者の机上の創作に成るものもあれば、豪族や民間の伝承を採取して構成した部分もあり、その成立年代や性質も各要素ごとにまちまちである。
a.民間の伝承をとり入れたもの。
b.民間の信仰や風習の産物も多く、必ずしも支配階級の政治的立場からつくり出されたものでない。たとえば、民謡を利用したもの。
★記・紀の各要素のうちには、古代初期の民衆の生活のいぶきがいたるところにただよっている。記・紀の物語や歌謡が、『源氏物語』のような貴族の閉鎖された社会で創作された純粋の貴族的作品と非常に違った性格を、そこに見出すことができるのである。
c.記·紀はそのような古くからの民間の伝承をふくむとともに、それとは違った層の創作からも成り立っている。記・紀の巻頭の「神代」の物語は、部分的には前述のような民間伝承を豊かにふくんでいるにもかかわらず、その全体の構造は、支配階級の政治的意図から出た創作である。
要するに記·紀の物語の体系は、天皇とこれをめぐる支配階級の支配的地位を権威づけるためのものであり、一般人民が全然物語の構成要素として登場していないのである。
(3)その他
①地方の伝説などを集めた出雲、播磨等の『風土記』、祝詞などは政府の手に集められたものであるが、特異の伝承をもっているし、祝詞・寿詞には、古い時代の祭りの具体的な姿がうかがわれる。
②沖縄の島々の住民は同じ日本民族でありながら、長年月にわたり本土から分離した状況にあって、独自の地方文化を維持してきた。十六世紀から十七世紀にかけて編集された宗教歌謡集『おもろさうし』には、沖縄の古い宗教信仰のすがたが語られているとともに、本土の文芸にはとぼしい雄大な海洋文学の趣をふくんでいる。
6古代文化と性
(1)概況
①古代初期の日本人が性に関してきわめて開放的であった。
②古代初期の性についての開放的な意識は当時の婚姻関係と深い関係がある。古代初期には婚姻は夫が妻の家に通う妻問婚の形で行なわれるのを原則とした。
(2)性と呪術との関連
原始社会にあっては、生殖器が呪力の象徴と信ぜられ、またそれが農耕儀礼にも引きつがれて、農業生産力の象徴として信仰の対象となったのである。
7日常生活
(1)概況
階級の区別のなかった原始社会とちがい、この時代の人々の日常生活に階級的なちがいが生じてきた。
(2)階級的な違い
①住宅
高塚古墳と地中への直接の埋葬という死後における身分上のへだたりは、生前においても、高床の住宅と竪穴の住宅というちがいを示していたのである。
この時代に支配階級の住居や倉庫のためにはじめてあらわれた高床の建築は、その後次第に竪穴に代って一般民衆の住居にまでひろがっていく起点となった。
②服装
支配階級は、上半身には衣を着け、男はだぶだぶのズボンのような褌、女はス力ートに似た裳をはいている。直線形の布で胴部を覆い首を出した「貫頭衣」が日本人の原始的な服装の基本形態であった。民衆は貫頭衣の系統をひく手無しや裾の短いワンピースの衣服を着用していた。
8造形美術
(1)高塚古墳
古墳時代に支配階級がもっとも力を注いで造ったモニュメントは高塚古墳であったが、古墳を美術品と見ることはできない。
(2)彫刻
古墳の外部に立てられた埴輪には人物像や家屋・動物形などが多く、土偶に次ぐ日本固有の素朴な彫刻技術を発揮している。
(3)工芸品
古墳の副葬品に豊かな工芸品が多い。後期の横穴古墳には「装飾古墳」が現われる。
(4)建築
高床式建物のもっとも洗練された様式を、比較的忠実に伝えているのが出雲大社・伊勢神宮などの古い歴史をもつ神社の社殿である。色彩や装飾をほとんど用いず、直線的な白木の木材の構造美のみによって簡素で実用的な建築を構成しており、建築の日本的様式の精粋を示す。
【中文版复习笔记】
1金属文化的传入
(1)日本的特殊性
日本在已经进入铁器时代的汉文化的影响下迎来了金属器时代,没有经过青铜时代而从石器时代一步跨入铁器时代。因此日本金属器时代早期是青铜器和铁器并用。从这里也能看出日本文化史与先进文明国家不同的特殊性。
(2)弥生文化
金属器时代最早的文化,伴随着弥生陶器这种形态与绳纹陶器完全不同的陶器,所以称为“弥生文化”。
2阶级和国家的建立(弥生时代研)
(1)背景
水田耕作的开始产生了极大的影响,以致改变了日本社会的结构。
①为了开垦、灌溉等,必须进行大规模的集体劳动,集中到村落的人数日益稠密。
②剩余物资的积累成为可能,出现了因劳动力大小强弱不同而形成的财富不均,形成了阶级剥削关系。
(2)概况
①产生了政治统治关系,各地涌现小型的政治集团。这些“国”各自有“王”。
②小国林立时代的“王”与其说是政治上的君主,不如说其本质是巫师。这与古坟时代以后的专制君主在本质上大不相同,可以说是早期统治者的特点。
③这一特点的原因是:农业必须依存于气候、气象等非人力能控制的自然条件,所以以农业为主要产业就增大了巫术的必要性。目的在于用巫术来保障风调雨顺、五谷丰登的农耕仪式成为村落共同体不可或缺的活动。主持农耕仪式的巫师同时在统制村落共同体方面也发挥着重要作用。
④后来这些“王”中之一成为日本全境的“大王”,从约七世纪起开始使用“天皇”这一称号。但直到后世,天皇既是国家的君主同时又一直作为最高祭司掌握着祭祀大权。这表明:日本的“国体”保存了下来,并没有消除弥生时代以来的古老特征。
3君主制国家的形成(古坟时代研)
(1)概况
①从四世纪到六世纪,以畿内为中心,全国各地建造了为数众多的,以前方后圆坟为代表的高冢古坟。出生于畿内大和地方的一个小国的“王”成为日本全境的“大王”,他的统治权已从东国扩大到了九州。日本民族在政治上统一成为古代专制君主国家。
②大王以诸小国联盟的形式成为日本的君主。随着大王政治·经济势力的积累,其统治力量逐渐加强,形成了中央集权的古代官僚国家体制。统治者们对于大陆文化的积极吸收成为了推动这一趋势的强大动力。
(2)动力——对大陆文化的吸收
这种吸收是以对于朝鲜半岛的军事侵略为途径来吸取大陆文化。通过吸收大陆的高度物质文化,来提高统治者在文化上的优越性,保持对被统治者的绝对优势。
①物质文化
六朝时代的铜镜或仿制铜镜,金冠、金银耳饰等大陆工艺品以及应用新传入的高度先进的制陶技术烧制的须惠陶器等。
②精神文化
使用汉字记事,传入了中国的阴阳、天文等知识。到了6世纪,从百济传来了儒学经典和佛像等。
③政治
称作“部”的统治人民的体制也学习了百济的“部”制。
(3)社会的阶级构成
当时社会的阶级构成是豪族——农民——奴隶。即过去各个小国的“王”作为豪族臣服于大王,同时继续统治着该小国的人民。他们以及农民中的有势力者进而拥有称为“奴”“婢”的奴隶。
(4)社会的基本结构
当时生产力的主要代表时农民,豪族和农民之间的统治与被统治关系是这个时代社会的基本结构。
(5)氏姓社会
豪族拥有代表血统的氏和代表尊贵身份的姓,统治者的地位是世袭的。这是一个由拥有氏、姓的等级统治的社会,根据这一点,有时也称之为氏姓社会,以区别于其后的律令国家。
★弥生文化时代是小国分立的时代,古坟文化时代是氏姓社会的时代。
4作为民族宗教的祭祀
(1)概况
①《魏志・倭人传》所记述的巫术活动是日本民族宗教的原始形态。
②弥生时代以后的民族宗教,本质是农耕仪式。一切巫术活动最终是为了保佑农耕的顺利进行。
③民族宗教的主体以巫术仪式为其唯一的内容,巫术活动中最重要的是“祭祀”。
(2)原始祭祀和后世的祭祀的不同之处
①后世的祭祀原则上都是神社的祭典,神社这一固定的建筑设施是祭典的前提。但原始的祭祀只是设置临时设施举行祭礼,祭祀完毕后设施即撤去,不需要固定的建筑设施。随着反复使用某个固定的地点作为祭祀场所,那里就逐渐作为圣地受到特殊对待,最终在那里修建神社。
②后世一般认为神社是一种固定的建筑设施,正殿上总是有神像端坐着。与此不同,民族宗教是以树木、镜、剑、陶器等为“依代(神灵降临居住的媒介)”,临时请求神灵降临而举行祭祀,平时无须神常驻的神殿。
★这一点与民族宗教的神并非是具有人形的人格神密切相关。
日本的神,人、鸟兽、山川草木以及其他任何事物,所有不同寻常具有奇异之处因而成为敬畏对象者,全都是“神”。这是日本的神的特色。
③祭祀本来并不是建立在个人信仰的基础上,而是地区共同体的集体活动。
到了后世,人们渐渐祈求神社为个人消灾降福。这是产生了新的信仰内容,是民族宗教的变容现象。
随着城市的发展出现了与农耕仪式没有关系的神社。但即使在城市,直到近代为止,祭祀仍是无视个人意志而集体操办。
但虽说是集体活动,也始终是村落范围的活动,而不是国家大典。把神社神道奉为国教,强迫每个国民参拜神社,是明治以后天皇制专制主义官僚的创造,并非来源于民族宗教的历史传统。
(3)神社信仰与佛教信仰的并存
①日本在佛教广泛传播之后,民族宗教仍照旧保留,神社信仰和佛教信仰并存,深深扎根于日本人的生活中。
②日本文化的一个显著特点:传统的古老文化不会因为外来的或国内创立的新文化的发展而消亡。许多情况下,它们相互重合而共存。
③日本文化的传统因素广泛保持下来的基础:
a.日本只是通过少数渡海来往的人接受海外文化,由于海洋这一天然壁障,日本人未能与海外其他民族进行广范围接触。
b.作为基本产业的农业生产技术没有从根本上摆脱弥生文化时代的落后状态。
c.农村共同体的生活方式保存了下来,没有发生根本的变化,等等。
(4)影响
古代早期的文化几乎没有一样与宗教活动无关。后世作为艺术形成独特的文化形态,并达到高度水平的和歌、物语、猿乐、偶人净琉璃,也都是以民族宗教方面的活动为母胎产生的。
5《古事记》、《日本书纪》中的传说
(1)概况
①《古事记》于712年由太安万侣完成,《日本书纪》于720年由舍人亲王等人完成。
但“记·纪”都不是由太安万侣或舍人亲王新写出来的,而是将自古传来的文献加以整理、加工而汇总在一部书中。
其中最新的部分是8世纪时添加进去的,此外大体上以这之前某个时期所汇总的原始资料为基础。
②可以把“记·纪”看作氏姓社会的产物。而且它们还包括了五世纪以前流传下来的古老传说。长达几百年的各个阶段的组成部分相互重合,因此不能把它们视为单纯某一个时期的文献。
③《古事记》和《日本书纪》采取史书体裁,按照时间顺序记述了被说成天皇祖先的众神及历代天皇的谱系和各代的事件。这两本书确实有一部分堪称历史事实的忠实纪录。同时,纯属主观臆造的部分也很多,加工或歪曲史实的记载也不少。所以整体而言,不能把这两本书看作史书。
④《记》《纪》神话故事大体构思虽然很少有根本差异,但在表现形式和细节上却各有特色。《日本书纪》用汉文撰写,因而许多地方按照中国思想作了润色,也有不少部分按照律令贵族的政治思想对以前时期的神话故事进行了篡改。《古事记》则有许多与政治意图无关、直率而生动地表达人们悲欢的记述。
(2)构成
①《日本书纪》中的天武天皇、持统天皇三卷被认为是极其可靠的史实记载,而两本书的神代卷则纯属虚构。它们形成两极,其间夹杂着史实记录部分和非史实部分。
②非史实部分性质也不一样。既有出自“记·纪”或其原始资料编撰者案头创作的部分,也有采录了豪族或民间传说写成的部分。成稿年代和性质也是各部分各异。
a.吸取了民间传说的章节。
b.有不少民间信仰和习俗的产物,而不一定是从统治阶级的政治立场出发编造出来的。如采用民谣的内容。
★“记·纪”的各个组成部分中,到处都洋溢着古代早期民众生活的气息。由此可以看出《记》《纪》的故事和歌谣与《源氏物语》之类在贵族的封闭社会中创作的纯粹贵族作品迥然不同的特点。
c.《记》《纪》不仅包含着这一类自古流传下来的民间传说,同时包含着与民间不同的阶层的创作。两书的卷首“神代”故事虽然部分地包含着上述大量民间传说,但其总体结构是出于统治阶级政治目的的创作。
总之《记》《纪》的神话体系旨在赋与天皇和以天皇为中心的统治阶级的统治地位以权威,一般人民根本没有作为故事的组成部分出现。
(3)其他
①收集了地方传说的出云、播磨等国的《风土记》、祝词等同样由政府收集,但其中包含独特的传说。祝词、寿词则反映了古代祭祀的具体面貌。
②冲绳群岛的居民虽同属日本民族,但长期处于脱离本土的状态,因而保持了独特的地方文化。十六、十七世纪汇编成书的宗教歌谣集《奥摩罗草纸》不仅反映了冲绳古代宗教信仰的面貌,而且富有本土文艺所缺少的气势恢宏的海洋文学情趣。
6古代文化与性
(1)概况
①古代早期的日本人在性方面极其开放。
②古代初期有关性的开放意识与当时的婚姻关系具有密切的联系。古代早期,婚姻原则上以丈夫到妻子家的访妻婚形式进行。
(2)性与巫术的关系
在原始社会,生殖器被奉为符咒力的象征。它还被联系到农耕仪式,作为农业生产力的象征成为信仰对象。
7日常生活
(1)概况
与没有阶级区别的原始社会不同,这一时代人们的日常生活中产生了阶级差异。
(2)阶级差异的表现
①住宅
身份差别不仅在死后表现为高冢古坟与直接埋进地下的不同葬法,在生前也显示出高地板住宅与竖穴住宅的区别。
这个时代用作统治阶级的住宅或仓库而首次出现的高地板建筑,后来逐渐取代竖穴,成为发展为一般民众住宅的起点。
②服装
统治阶层男女上身都穿衣,男子下身着肥大的裤子般的裤裙,女子穿类似裙子的“裳”。用直线形的布遮蔽身躯而露出脑袋的“贯头衣”是日本人原始服装的基本形态。平民穿由贯头衣一脉相承的坎肩或下摆短的连衣裙。
8造形美术
(1)高冢古坟
古坟时代统治阶级倾注了最大力量营造的纪念碑式建筑是高冢古坟。但不能把古坟看作美术品。
(2)雕刻
竖立在古坟外部的冥器中有许多人物像或住房、动物形象等,继陶俑之后发挥了日本固有的朴素的雕刻技术。
(3)工艺品
在古坟的陪葬品中有很多丰富多彩的工艺品。后期的横穴古坟中出现了“装饰古坟”。
(4)建筑
比较忠实地反映了高地板式建筑物最精致形式的是出云大社、伊势神宫等具有悠久历史的神社的神殿。这些神殿几乎不用色彩和装饰,而仅仅利用直线形白木木材的结构美来构成朴素而实用的建筑,体现了日本建筑形式的精华。